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[山行記]2005/09 涸沢・北穂高岳・奥穂高岳・岳沢


母と2人。

2005年9月10日(土)

新宿23:00発(集合22:30)松本電鉄会員制バス「さわやか信州号」上高地ルートに乗車。母は既にサポートタイツ着用。眠れるのか?

2005年9月11日(日)

涸沢・コース上の溝

早朝、上高地バスターミナルへ。雨。チップ制トイレで初体験のサポートタイツ(ワコール製)とゴアテックス®のレインスーツを身に付け、日焼け止めを塗りたる。インフォメーションセンター横のベンチで朝食。売店のおむすびを母と半分こ。

7時に出発。梓川左岸を川上へ。川底が褐色(藻?)いつもの碧さがない。小降りの雨が本谷橋あたりから本降りに。コース上を無数に横切る排水用の溝。なければ雨水で沢登り状態のはず。ありがたい。

昼過ぎに涸沢小屋到着。和室に母と2人きりのありがたさ。乾燥室の混雑振り。売店で名物ソフトクリームの他におはぎ発見。宿泊客は飲料水無料。トイレは洋式あり。

好天は明日、明後日とのこと。

2005年9月12日(月)

滝谷

快晴。小屋スタッフのラジオ体操に付き合う客多し。7時30分出発。そこそこ急な岩場の登り。南稜テラスのテント場やや上に涸沢岳への縦走路の分岐点、もっと上に北穂高岳南峰。分岐点を右に北峰頂上へ。「鳥も通わぬ」(上條嘉門次が本当に言ったかは謎)滝谷の、ガスに見え隠れする物凄さ。

昼前に頂上直下の北穂高小屋到着。テラスの絶景に惜しくも槍ヶ岳はガスの中。トイレは和式のみだが扉の取っ手が手すり代わりで比較的楽。布団2組用の蚕棚。干したてのまだ温かい布団に感激。夕食は豚生姜焼き。食堂の狭さもあり、お代わりは従業員が給仕。飲料水は小屋客無料、テント客有料。

2005年9月13日(火)

北穂高岳→涸沢岳

晴天、飛騨側は強風とガス。7時出発。昨日の南稜の分岐点を右に取り、南稜の稜線に。滝谷側からの強烈な風、涸沢側でピタリ収まる。痩せ尾根の一枚岩をトラバース、クラック上の通過など、最低コル前のクサリ・ハシゴのない個所に注意。ドーム涸沢側の大岩のテラス(今にも転がりそう)で休憩。涸沢槍は滝谷側をクサリで通過。実感なし。凹状のクサリ場をよじ登ると、×印だらけの滝谷側尾根(よほど迷うらしい)の左側に涸沢岳。頂上で会った若い女性は南岳小屋の従業員、曰く「北穂からここまでの方が大キレットより怖い」とは本当?

通常のコースタイムの2倍を費やして、昼前に穂高岳山荘到着。トイレは簡易水洗・洋式あり。飲料水は小屋客無料、テント客有料。薪ストーブのロビーにクラシックのCD。夜のDVD上映。

2005年9月14日(水)

ガスと風雨。穂高岳山荘に停滞。「山と渓谷」「岳人」はもとより本が一杯でありがたい。夜に昨夜と違うDVD上映。

2005年9月15日(木)

ガス。7時出発。奥穂高岳からはジャンダルムも見えず。2001年10月とは大違い。吊り尾根から時々上高地が見える。視界が悪いので母の希望により前穂高岳はパス。紀美子平から直接、重太郎新道を下る。

2時前に岳沢ヒュッテ到着。名物インド風カレー、酸味が疲れた身体に心地良い。トイレは和式のみ、手すり等なく筋肉痛にキツイ。飲料水は小屋客無料。

2005年9月16日(金)

7時に出発。筋肉痛に関わらずストックのお陰で(今回初めて使用)ほぼコースタイムで上高地に下山。予約を入れた白樺荘にザックを置いて嘉門次小屋へ。岩魚塩焼きを頭から。

翌日14:00発(集合13:30)の「さわやか信州号」で帰京。



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動物をモチーフにした短編集。5作品を収録。

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『登攀ガエル』ニホンアマガエルとの交流。

『河馬追物』都会の奇妙な追跡劇。

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