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母と2人。1999年9月の単独縦走ルート。彼女にも不帰ノ嶮を体験して欲しかったのだが…。
新宿10:00発JR特急「スーパーあずさ」で白馬へ。松本電鉄路線バスで栂池へ。ガスの中をゴンドラリフト、ロープウェイと乗り継ぎ栂池自然園へ。降りると意外にも快晴で文字通り雲上人の気分。登山口そばの栂池ヒュッテ泊。きれいな建物。客は少なく、我々2人で1部屋。風呂付き。夕食が美味しい。
快晴。登り始め、登山口近くの樹林帯はやはり苦しい。母はお初のプラティパス®で歩きながら水分を補給するも、ザックを背負うたびにチューブを探すのはご愛嬌。
天狗原で小休止、持参した生チョコレートを頬張る。ゴロゴロする岩の両脇に色付き初めのナナカマド。白馬乗鞍岳で、ライチョウの親子の横断を、写真も撮らず見送る。白馬大池山荘のトイレは新築され、洋式もある。チングルマの花は終わり、山荘周囲に一面、羽毛のような花柱が揺れる。
小蓮華山で小休止。宝剣の下で再び生チョコレート。三国境周辺、白い砂礫とハイマツの緑のコントラストは、人の少なさも手伝い、枯山水に通じる世界。岩場のチシマキキョウとイワツメクサ(高山性ミミナグサかも)に励まされ、馬ノ背を登り、白馬岳山頂で方位盤に抱きつく。前回は大池泊まりだったのに、母と2人、1日でよく来れたものだ。
白馬山荘では前泊同様2人で1部屋。夏に開設される郵便局もポストも今はない。レストランで生ビールを分け合う。洗面所で我々に声をかけてきたのは、2000年9月に西穂高岳で年配女性グループを引率していた男性。今回は男性ばかりのグループで来ている由。我々親子、特に母のことを良く覚えているのに驚く。
快晴、時々ガス。朝食後、レストランで休憩というゆっくりスタート。登山道脇に敷いたムシロの下ではコマクサを育成中らしい。杓子岳山頂で休憩、母が若い女性2人組に生チョコレートを振舞う。ガスに包まれる白馬岳を眺めていると、眼下の自分の影に薄く光輪。これがブロッケン現象か。
白馬鑓ヶ岳直下、前回強風を避けた大岩に再会し、改めて礼を言う。山頂で目指す不帰ノ嶮を望むもガス。村営天狗山荘のある天狗平は、岩と高低差を活かした見事な花畑になっており、ライチョウの親子が暮らす。前泊・前々泊同様、我々2人で蚕棚を独占する。
朝から強風とガス。加えて母が体調不良を訴える。天狗ノ頭まで行き様子をしばし見るが、状況は何一つ好転せず、不帰キレット越えを諦める。稜線を少しでも下ると風が嘘のように静まるのが恨めしい。大出原周辺はオヤマリンドウに染まる。ナナカマドの間をぬい、鎖場や梯子に思いのほか苦んだ末、白馬鑓温泉へ。
休憩中、猿倉から下の道路が夕方に閉鎖されるとの情報が入る。母は今日中に下山したいと言う。温泉に入らず、休憩もそこそこに下山。温泉の成分のためか、小屋付近の坂の滑ること。重なる心配事、うんざりする上り下り(しばらく行きたくない)を繰り返し、何とか閉鎖前のバスに間に合う。
八方温泉の宿では2人とも食欲なし。
翌朝、母の体調が悪化し、白馬村の診療所へ。帰宅を勧められ、白馬13:52発JR特急「スーパーあずさ」で帰京、即日入院。完治にはしばらく時間がかかった。